どんなスター選手にも、いつか衰えが訪れ、ユニフォームを脱ぐ日が来る。それは避けられない運命。しかし、そんな非情な運命に精一杯抗い続け、挑戦をやめない男たちがいる。愛するマリノスから遠く離れて
それは、あまりにも突然の戦力外通告だった。
松田直樹は180cm以上という恵まれた体格を活かした対人能力の高さと、闘志あふれるプレー、最終ラインからもチャンスを演出できる足元の技術、それに加えてクレバーな戦術眼も持ち合わせたJリーグ屈指のセンターバック。日本代表でも活躍し、日韓W杯ではレギュラ−として、日本の躍進に大きく貢献した。
しかし、ここ数年は自身のケガや、若手の台頭により、次第に所属先のマリノスでの出番を減らしていき、2010年シーズン終了後、戦力外通告を受けた。
生涯マリノス一筋という考えを持っていた松田は、悩んだ末、現役を続行することを決意、JFLの
松本山雅FCと契約を結んだ。
34歳で環境的にも過酷な下部リーグに移籍したのは、金の名誉もいらない。ただサッカーがしたい。そういう純粋な思いだったのではないだろうか。
驚異の身体能力を誇った「ドラゴン」
日本人離れしたジャンプ力と豪快なシュート力から生まれるアクロバティックなプレーで観客を魅了する、「ドラゴン」の異名を持つフォワード・
久保竜彦。その抜群の決定力で日本代表を背負っていくことを期待されたが、度重なるケガに泣かされ、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と、二度のW杯にあと一歩のところで落選。
Jリーグでも、サンフレッチェ広島で開花させたその才能が、横浜M移籍後に全盛期を迎え、マリノスの黄金期を支えるゴールゲッターだった。その後、J2の横浜FCや、広島復帰を果たすが、ケガや、年齢の壁にぶつかり、チームを去る。しかし、久保の情熱は冷めなかった。
現在、久保はJFLへ舞台を移し、
ツエーゲン金沢でプレー。J2昇格を目指し、チームを引っ張る。
ジュビロ黄金期を縁の下で支えた職人
服部年宏はアトランタオリンピックに出場しブラジルを撃破した、俗にいう、「マイアミの奇跡」を起こした五輪代表のメンバーだ。
対人守備に強く、マンマークにもゾーンディフェンスにも対応し、複数のポジションをこなすユーティリティプレーヤーの服部は、ジュビロ磐田の黄金期を支えた。
プレーに派手さはないものの、その堅実なプレーは、指揮官から絶大な信頼を受け、1998年のフランス大会、2002年の日韓大会と、2度のW杯を経験している。
しかし、世代交代の流れで、代表で、そして所属先のジュビロでも、出場機会を失っていった。2006年、出場機会を求めて東京ヴェルディに移籍するが、チームの経営状態悪化のため、退団することに。
Jリーグでのプレーの機会を失った服部だったが、2010年に
ガイナーレ鳥取と契約。主将としてチームを引っぱり見事優勝を果たし、チームのJリーグ加盟を実現させ、自身もシーズンMVPを獲得した。
海外で活躍する多くの若手プレーヤーが生まれる中で、地道にサッカー界を支える男たち。彼らの熱意に、敬意を表したい。松本山雅FC公式サイト
ツエーゲン金沢公式サイトガイナーレ鳥取公式サイト